仮説①

Ⅰ.残すべきものと変えるべきものを明確に区分する

株式会社日吉屋

(残すべきもの)
1. 発明者も知らない普通のものを生活の中でずっと残したい。

2. 和傘が持つ機能の強みを残しつつ、新しい形態を探っていく。

普通のモノ(発明者さえ誰も知らないモノ)、そのような商品を何十年たっても生活の中に残していきたい。 伝統が革新を経て伝統物となるように。 それは家業として引き継がれるものでもあるかもしれない。 家業とは誰でもできる事をコツコツとやっていくことが大事なものである。 そこに継続は力なりという教えを、老舗である日吉屋から学んだ。

(変えるべきもの)
1. 販路の開拓は海外市場も視野に入れて、現地に合わせた改良を顧客の声を聞きながら行なっていくこと。

そんな状態の和傘業界に身を投じた西堀氏は言う。最初は全然売れなかった。どこに置く、どこで使うという明確なコンセプトが無く、需要を呼び起こすことは不可能に近かった。そこで新規事業として和傘の新たな使用法を考えることとした。
そんな中で、たまたま毎年イタリアのミラノ・サローネで行われるインテリアの国際見本市を知った。そこでの出店を考えたのである。それは和傘を照明器具にして再利用するというものであった。無印良品のデザイナーである三宅一成氏との出会いが和傘に新しい命を吹き込んだのであった。古都里シリーズの誕生であった。和傘の機能を利用して上部を開くことで円筒型の折りたたみ式照明器具とした。これには和傘の優れた点である、
①竹骨48本から成るデザイン性、
②和紙の透過光の美しく柔らかい性質 
③折り畳み可能な利便性
をうまく取り入れたものであった。最初は虫カゴのランプのようで気が乗らなかったが、意外にもお客様の受けが良かったことから、西堀氏は気付かされることになる。商売の基本はお客様の声であるということを。

株式会社日吉屋

(日吉屋 全文はこちら)




南禅寺瓢亭

1.「自分はリレーランナーに過ぎない。1人のリレーランナーとして先代が築きあげてきたものをいい形で 次のランナーにバトンを渡すのが自分の役割だ。」
「伝統として残すものと改革するものがある。でも改革しすぎてこれは瓢亭じゃないと言われるのは、まずい。 食文化の変化に対応しながら瓢亭としてできる改革を行なう。」

2. 100年先を考えるには、自分のことだけを考えていてはダメです。私を継いでくれる人、その継いでくれた人を継いでくれる人までのことを考えないとうまくいかないでしょう。それには、確実な「財」を次世代に遺していかなければならないのです。それは決して、金銭的な資産を遺すことだけではないのです。
ひとつは、普遍的価値を持つものを探し出すこと。そして、その普遍というものに胡坐をかくのではなく、つねに時代の潮流の中で微妙に変化させながら、つねにその時代にフィットするように新鮮な印象が保てるように演出していく。そんな努力が必要なのです。そんな活動を次の世代、その次の世代に継いでいくことが、100年企業をつくることなのではないでしょうか。決して奇をてらうことなく、地道に質素に続けていくことなのです。

南禅寺瓢亭

(南禅寺瓢亭 読者感想含む 全文はこちら)




三嶋亭

(残すべきもの)
1. 残すべきところはいかに非効率的であっても残した。
今の本店家屋は創業時からのもの。増築しながら、修繕費は多くかかっても壊さない。
結婚前に初めてのデートで来ていただいたカップルが、次に子供連れで来ていただいた。年輩の女性が食事後建物を見て、「また、この三嶋亭ですき焼を食べられて良かった」と、大変喜んでいただいた。

(変えるべきもの)
2.季節の変わり目、時代の変わり目それぞれいかに順応するかが重要。強いだけでは残らない。ダーウィンの進化論は経営にも当てはまる。いかに順応できるかが勝負である。
・業績を見て先代が残してくれた支店も統廃合した。
・掘りごたつ式やお客様に掛けていただく椅子席を多めにお客様のニーズに応えて、変えるべきものは変えていった。

三嶋亭

(三嶋亭 全文はこちら)




伊と忠

(残すべきもの)
1.「ブランドは技や商品からのみできるものではない。店頭での接客・おもてなしが創る」
伊藤社長の言葉には先代からの教え、家訓からくるものもあろうが、自身で新規事業を立ち上げられ、そこで感じられたものがこの言葉の出どころではないかと思う。経営理念は組織においてその方向性を一本化するためには非常に重要なものであるが、後継者がその言葉をそのまま吸収できるわけではなく、自分自身が体験し、失敗し、初めて理解・吸収するものだと思う。その意味で伊藤社長はその本質を捉えられているように思われる。
そしてブランドとは「商品が幅広いお客様に渡ってもぶれることはない。」という効果を持つと話された。

2.和雑貨の店カランコロン京都がうまく軌道に乗り、店舗拡大が相次いだときのこと、多店舗拡大・新事業開発のワナ・拡散のリスクにより2度目の失敗を経験する。店舗拡大に商品や従業員が追いつかず、完全にバランスを崩した。不採算店舗が出始めたのだ。
勢いのある企業には各地の商業施設からオファーがかかる。立地、顧客層、地域風土をよく考えずに出店すると、うまくいった店と同じようにやっても、全く効果が上がらないことも多い。また急拡大するとこちらのように商品供給が追いつかず、欠品を出したり、人材補充や教育がままならず、本来の持ち味である老舗のよさ(接客にあると伊藤社長は言う)が出ずに、信用を失ったりする危険性もある。伊藤社長はこの失敗により、次の点に気づかれた。「ハードとソフトのバランス、得意分野にフォーカスする」と。

3.「伝統にちょっかいを出してはいけない」
「現場の従業員とお客様とのタッチポイントは非効率でも変えない」と言い切る。
先ほども出たが、ブランドは「店頭での接客・おもてなしが創る」とあったようにここは伊と忠の最も大事にすべきところであり、たとえ非効率であったとしても残していかなければならない部分である。

(変えるべきもの) 4.変えるべきことは、時代の流れ、外部環境の変化にうまく沿うように変えていくものがある。具体的には商品であったり、店舗デザインであったり、売り方自体であろう。
伊藤社長曰く、「お客様が見えない部分で、例えば商品管理手法:在庫管理・生産管理は企業を守るためにも変えなければならないものである。」

5.老舗の企業を調べていると、かたくなに自社の領域を守ろうとしすぎるが故に、これまでと同じ商品・売り方・顧客層などに固執する傾向がある。和装業界もその例に習い、なんとか和装を再度一般に広め、和装の顧客層拡大を図ろうとする。伊藤社長はこれに異議を唱える。和装業界を取り巻く外部環境は非常に厳しい。「時代背景・市場環境は企業努力で変えられるものではない」外部要因に逆らわず、和装は非日常的なものと割り切る。
そこから次の発想が湧いてくるのである。

6.ただ発想の限界もあるという。自社の中だけでのアイデアでは行き詰まる。伊藤社長は大胆に外部ブレーンの活用を決める。特にデザインマーケティングは効果的であるという。
和雑貨カランコロンの再出発は有名デザイン会社へのオファーから始まった。ハイレベルなアートディレクションにより、表現したい京都のエッセンスが、ロゴ・包装材・店舗デザイン等にしっかりと落とし込まれ、ブランドとしての輪郭が出来上がった。
ここからカランコロン京都の快進撃が始まった。

伊と忠

(伊と忠 全文はこちら)




平八茶屋

(残すべきもの)
1. 歴史を遡れば街道茶屋からの出発ですが、基本的に飲食を伴う料理屋という業種は変えず、その業態は茶屋、萬屋、飲食専門店、旅籠と変化しています。変えるべきものは変え、残すものは残すという首尾一貫した方針のもとここまでやってこられました結果です。
ただ会長が強調しておっしゃっておられたのは、永く企業を続ける秘訣でもありますが、時代に迎合することなく、時代に必要とされる企業となることが必要である、ということでした。

2. 平八茶屋に綿々と継がれてきた教え
① 当家主人は料理人であること。
② 料理屋であること。すなわち主人が料理も経営も行う形態であること。
③ 家業であること。
少し解説を加えますと、
① は初めにも申し上げましたが、一子相伝が伝統であり、その味を守るためには主人が料理人であらねばなりません。実子で男子が21代続いたということは驚異的でもありますが、逆に男子が2名以上いた場合、後継者以外は店の相続を放棄させ、他の職に就かせるという徹底したものであったことが、平八茶屋が430年余り続いてきた理由の一つであることは間違いありません。
② 近代的な経営を採用されている料理旅館などでは、経営者は料理人を雇い料理長にしている場合が多く、自らは営業、人事、財務などの経営に専任されていることが多いです。しかし平八茶屋ではその両方の機能を当家主人である者が担うこととしています。そこに料理旅館とは異なる京都の料理屋たる所以があります。
③ それだけに余り規模を大きくし過ぎることは得策ではありません。現代表取締役社長でいらっしゃいますご子息の晋吾氏にもお話をお聞きしました。数年前に新宿店をオープンしたところ、一人が全てを見るにはその人材育成面・人事管理面で無理があったといいます。結果、昨年退店となりました。その際思われたのは、この京都の本店に全力を投じることで、更に充実した平八茶屋にしていきたいということでした。やはり家業に徹するという家訓に従うことが企業を守ることとなります。

(変えるべきもの)
3. ① 15代目から19代目まで100年続いた生粋の川魚料理を残すため、若狭懐石を創り上げた。はじめに申し上げた通り、時代を先読みしたからこその決断であったと思います。
② 時代にあった単価、麦とろ膳を開発した。しかしはじめは全く売れず、旅行業者と提携すればいいとアドバイスをもらうと旅行業者とも交渉しましたが、手数料が差し引かれることを聞いた19代目のご主人は「そんなもん払うくらいなら、仕入れに金かけてお客様に喜んでもらうんや。」という方針で手数料を一切払わないやり方で旅行業者からの送客も歓迎しませんでした。だからこれもすぐにはお客様の増加には繋がりませんでした。今まで営業なんてやられたことのなかった会長が、様々な代理店の営業所巡りを根気よく続けて来られました。その結果、ランチタイムの麦飯とろ膳が評判となり世間に広まることとなりました。営業活動を始めたことが大きく売り上げに貢献しました。
設備については、お客様目線で見直していく。如何に楽しんでいただけるかを基本に、外国人の方々、若い方々も多くなったことを考え、畳のお部屋でも椅子席をご用意しました。また、全館洋式トイレを設備し、かま風呂は平八茶屋の目玉の一つです。以前はこの地域の数十軒の料理旅館が、かま風呂を持っていたそうですが、今では数えるほどとなりました。和風のサウナ的な珍しいもので、これもお客様に喜んでいただける名物として新たに取り入れてきたものといえます。

4. 料理屋にとってメインの料理を変えることは、時代の流れとともに必要なことではあるのだけれど、その料理を根付かせるには、それ相当の修練が必要である。そのことはもちろんのこと、京料理として認めてもらうには周りの料理人のお墨付きが必要なのだということです。それだけ京都の料理人は京料理にプライドを持ち、京料理の伝統を皆で守っていこうという意識が強いのだと思いました。

平八茶屋

(平八茶屋 全文はこちら)




本家西尾八ツ橋

(残すべきもの)
1.『陰徳を積む』 自分自身は表に出さず、他人のために一生懸命尽くします。これを続けていくことで、子孫のために家を残し、商売を続けることができます。
この家訓を裏付ける、一つのエピソードを社長からお聞きしました。ちょうどその日がバレンタインデイだったこともあり、朝方に離れて暮らす女の子の孫が訪ねてきて、顔も知らないおじいちゃんに対して仏壇にチョコレートと手紙を添えてお参りしていたところを見られたそうです。誰かから言われるのではなく、自分から祖先を敬う孫を見て、社長は西尾家の家訓は確実に守られてきていると心の中で思ったそうです。

2. 父親から子供の頃から教えられたことは沢山あります。ご先祖の教えとして8つの言葉を父が記しました。ここに「親切を売り、満足を買う」「七分で満足 十分を望むな」「子孫の為に 徳を積む」など意義深い教えが残されています。他にもいくつか挙げてみます。
・ 人にものを差し上げるときは、自分が要らないものを渡すのではなく、自分も惜しいと思えるものを渡しなさい。
・ 商売で物を売るときは、価格以上の価値があるものと感じていただけるように笑顔の接客やお客様への気遣いをしっかり行うようにしなさい。
・ 義理のある方からどうしてもお金を貸してほしいと言われたら、無下に断らず、自分のできる範囲の金銭を貸すのではなく差し上げよ。貸しているという思いが残ると後々トラブルの元となる。
・ ものを差し上げるときは小さめの器にできる限り詰め込んで、まだまだ入っているというくらいの充実感を与えよ。

(変えるべきもの)
3.うちが最も特徴としていることは、スピードだと言うことでした。
思いついたらとりあえずやってみること。やってみてだめならだめでやめればいい。
大会社のように何人もの印鑑を回らなければスタートできないのでは、勝負に負ける。
いい意味でうちは家族経営を貫いているからこそ、可能なシステムである。

本家西尾八ツ橋

(本家西尾八ツ橋 全文はこちら)




高蔵

(残すべきもの)
1.造り酒屋⇒製糸事業⇒ちりめん織物事業⇒染色事業と業種は変化しているが、その底流に流れる無から有を作り出す“ものづくり”の心は変わっていない。DNAと言っていい。
2.残すべきものは事業家の家に生まれてきた「誇り」である。そこにキラリと光るオリジナリティを求め、可能性に果敢にチャレンジして、成し遂げるという心意気を持ち続けたいと自社のコア・コンピタンス(核となる強み)を語る。
3.「伝統のものづくりを続ける」
これにはもう一つの側面があると思われる。経営破綻により全てのつながりが切られた。何もかも、親戚・友人・取引先・お得意様・・・、全てが切れたとき最後に残ったのは・・・自分自身であったに違いない。自分という人間が丸裸にされ、素直な心で自分を見たとき、本当の自分の強み・すべきこと・社会から求められていることが見えた。
染色事業の再出発であった。
このときの決意・本気度が大下倉社長の暗い運気を吹き飛ばした。次々とコラボ事業が成立した。自分の作品を世間が評価し始めたのである。

(変えるべきもの)
4. 自分とお客様とのぶつかり合う感性と感性、それが楽しめるまでになった。これからは市場も国内にとどまらず、グローバルに展開したいという。
培った伝統の技をものづくりのDNAから生まれた感性が生かされるツールにしたい。

高蔵

(高蔵 全文はこちら)




宇佐美松鶴堂

(残すべきもの)
1. ここで日本の表具屋としてのこだわりついてお聞きした。当社では修理した箇所をあえて分かるようにするそうだ。原画の字が欠落していても、調べることはしても書き加えることは一切しないのだ。これはあくまでオリジナリティを残すという意味と今後、後世において、また修理が必ず必要になることを考え、いつ、どの部分を、どのように修復したかをカルテとして記録しつつ、原画にその履歴を残すためである。ここに100年先を見た経営の思いがあると感じた。
2. 市販でも糊はあるといったが、あえて使わない理由としてお客様からお預かりした作品に万が一でも不具合なことが発生することは、それがたとえ10年後であっても糊のせいで作品に問題が生じることは避けなければならない。そのため新しいものを、特に合成のものを使うことはしないという。長年実証済みの天然物を使い続けること、これは残すべきものであると社長はおっしゃった。

(変えるべきもの)
3.故宮博物院の技術者は外部との交流をこれまで一切行わず、自身の技術のみが全てであり、技術革新を図ることもないそうだ。
一方日本の技術者は常に海外(英国:大英博物館、米国、仏国)との交流を行い、新技術の提供及び習得をされている。
4.今宇佐美松鶴堂は新しい事業にも果敢にチャレンジされている。京都府のファンド事業に認定され、継続中の事業である。
それは、一般の方に掛け軸を知ってもらい、新しい使用法を提案していくものだ。
床の間が少なくなっている住宅事情を踏まえ、時代に即した使用法として、古き良き掛け軸の様式に、CDジャケット、絵葉書、写真、イラストなどを挿み込み、洋間の壁などに飾るというもの。この用法を広めるため、旅行客や地元の方に対し、体験教室を開催されている。今はこのようなレトロのものがおしゃれという感覚の若者も多く、新事業の成功を祈りたい。

宇佐美松鶴堂

(宇佐美松鶴堂 全文はこちら)




本田味噌本店

(残すべきもの)
1.京都の暖簾商法の企業とスーパー向けの拡大指向の企業を分社化し、コンセプトとターゲットを明確に区分し、それぞれに対応した営業戦略を取った。

① もともと最高級品のお味噌を提供し続けてきた当店は、今までのお客様、本物志向のお客様、とお客様の顔の見える商売をやっていかねばならない。そうすることで、なくなることはない味噌ではあるが、需要の低下は減少する現状の中、最後の1社に残る企業になるのだという社長の言葉に181年という歴史を守ってきた意気込みを感じた。

② ファミリー企業の形態が老舗を作る。
今、社長は改めて実感されていることは、老舗を継続させるために最も適する企業形態はファミリー企業であるという。それは長年語り継がれてきた当社の家訓を次期後継者である長男に商住一致により幼少のころから教育出来るからだ。また存続の上で経済的な危機に瀕した時、創業家の個人資産を拠出することで難を逃れ、また続けていけるということだ。

(変えるべきもの)
③ 親子代々本田家が継承してきた中で、古い体質の当社を変えなければならないという思いは強くあった。公設市場という得意先にもこれから10年20年のスパンで当社の将来像を見た時、これは無くなっていく業態である。これからは欧米のマーケティング理論を駆使し、顧客目線の営業戦略を取っているイオンやイトーヨーカ堂などのGMS、地域一番店を目指す中小スーパーを顧客としていくことが必須であると感じていた。
そこでスーパー等への卸専門の会社を分社化し、本社とは違った顔の業態を創設した。
こちらは拡大指向、どんどんいいものを広く一般の方々、更に海外 中国まで市場を拡げる戦略を取った。

④ しかし、分社化の決断、取引先の見直しなど経営方針を変えていくことの最大の障壁は商品、従業員や取引先ではなく、先代社長であったと社長は言う。これまでのやり方を最善としてきた先代にとって、ここでの大きな方針転換には想像を絶する抵抗があったように推測する。しかし今変えなければ企業の存続という最も大事な老舗のポリシーに反するという思いで、論理的思考、説得するための手法を考えに考えて先代を口説き落とした。当時は大変つらい思いもしたが、今ではこれが社長としての役割を全うすることに大変役立っているという。従業員であれ、取引先であれ、強制ではなく、きちんと納得し、行動に移してもらうためには、こうした思考は必須であるということだ。

2.市内にあった味噌製造工場を綾部市に移転し、独自の最新鋭技術を駆使した大規模工場「丹波醸房工場」を創設した。
その工場の設備をビデオで見させていただいた。人影は少なくとても大きな機械がコンピューター制御によって正確に稼働していた。何気なく見える一つ一つの動きにも特許技術や緻密な工夫が凝らされていた。今まで職人さんの智恵と経験によりなされた技が、科学的に継承されているかに見えた。しかし社長は次のように話された。
今までの職人の手作業による工程をじっくりと検証すると、実にものの移動運搬の部分が70%あり、本当に職人の技術を要するところは意外と少ない。そこで運搬は機械に任せ、人しかできないことと職人がするようにした。そうすることで機械の運用管理部分に数名の人材を投入し、あとは最終成果物のチェックに職人を割り当てた。パネラーと呼ばれる9人の職人(この最高責任者は社長である)が出来上がった味噌の品質について五感を使い確認している。科学的な分析による数値はあくまで参考であり、最後は人だと社長は言い切る。
その結果、営業、研究開発、総務企画などの間接部門に人材を投入することが可能となり、販売面での強化も図れることとなった。

本田味噌本店

(本田味噌本店 全文はこちら)




中村軒

(残すべきもの)
1. 目に見えぬ代々伝わる家訓「お客様に喜んでもらえることを一番にする」
「目の前の自身の損得ではなく、お客様の利益を優先する」を守り抜く。
この10年間に生じた老舗の不祥事は大変お粗末な内容のものばかり。賞味期限の改ざん、原材料の生産地偽証など分からなければそれで済むといった、老舗の信頼に胡坐をかいた高慢な態度から来るものであった。創業者の精神とは程遠い、お客様の利益より、自社の利益を優先させた身勝手なものである。
それに対し、ここ中村軒では、代々引き継がれてきたお客様第一主義は五代目の後継者にも色濃く残っている。そこに安定した業績とお客様の変わらぬ信頼がある。言葉で言うのは簡単だが、それを実践という形で100年以上続けておられる中村軒こそ、京都の老舗を代表するお店であるといえよう。実際、朝生と呼ばれる朝作ってその日中に食べていただこうという和菓子のお店は京都には数多くあるが、その中でも中村軒の餡は最高と味にうるさい京都人にうわさされている。

(変えるべきもの)
2.変えてはならぬものの上に、歴代当主が時代に合わせ変えるべきを変えてきた。
お客様第一主義は基本である。しかしお客様のニーズは時代とともに変わっていく。
お客様に喜んでいくためには、その時その時の臨機応変な対応が鍵になってくる。

① 販路の開拓もお客様が買いやすくなるという点ではニーズの対応といえる。よって現社長は積極的に百貨店へブースを設置し、街中に売り場を拡大した。その結果、時代はバブル絶頂期で需要が急成長し、供給が追いつかなくなってきた。そこで今の手作業による餡炊きでは不足気味となってきたため、ガス釜による餡炊きに変更した。味に一切影響なければ、機械化もOKという経営判断の元、実行に踏み切った。確かに出来たてではほとんど差がない。
先祖の教えは、特に二代目は、死ぬ間際に餡は薪で炊けと言い残したほどである。
時間を置くと餅の固さ、餡の柔らかさに微妙な差が出ると皆が感じていた。
しかし10年間続けた。次第に地元のお客様が減少してきた。社長は悩んだ。

② そんな時息子である専務が古い職人達に聞いてみた。おくどさんで薪を使った餡炊きに戻せないか、と。皆一様にその意見に賛成し、社長に進言し、元に戻す決断が下された。しかしこれまでの生産量を維持していくためには、職人達にしんどい作業やこれまでより時間がかかる作業を理解してもらう必要があった。職人達は皆そのことは既に了解済みでそれが仕事と言い切った。昔からの職人はかえって戻すことを喜んだ。
皆の心には、お客様においしく食べてほしいという、創業以来変わらず伝わる家訓が浸透していたのである。今では職人達が一致団結して利益が出る体制へと変わってきた。

中村軒

(中村軒 全文はこちら)




傳來工房

(残すべきもの)
1.環境整備の取り組みはこれからますます革新を行いながら、いつまでも続けていきたい。
・すべての基本は「環境整備」から。基本のことができなくて、それ以上の仕事ができるはずがない。まずは凡事徹底から始まる。このことは未来永劫当社の基本とすべき事項と考える。

2.お客様第一主義はこれまで通り続けていきたい。
・お客様から商品をどうしたら良いかと聞いていくというのが、当社の基本的な営業方針である。

3.傅來様式という昔から続く具足の様式がある。引き継いできた技術はそのエッセンスが新しい技術の中でも残っていた。 ・昔からいい職人は整理が上手と言われる。仕事の後始末、道具の手入れなどである。一流の料理人を見れば一目瞭然である。そう考えれば環境整備に取り組んだのもこの一流職人のDNAが引き継がれていたからこそと考えてもおかしくない。

(変えるべきもの)
4.傅來合言葉:新しく変わったものを創れ 京のものづくり
・京都のお茶の老舗 一保堂さんでもお茶の味は時代とともに変わってきている。そうしなければ生き残れない。しかし変わったと感じさせてはいけない。と例え話をされた。当社は常に今までにない新しく変わったものを作り出すことを合言葉として、社員一同仕事に取り組んでいる。その一環が社員からの提案書でありちょっとした一工夫を取り上げ、表彰する制度がある。

傳來工房

(傳來工房 全文はこちら)




佐々木酒造

(残すべきもの)
1.先祖からの教えとして、経営者は次へつなぐことが使命。
・続けていくためにはどうしたらよいかを考えよ。身の丈に合った経営をする。拡大しすぎない。

2.残すべきもの:食品メーカーとして品質第一。技術も原料も最良のものを。
・産地のこだわりなく、その年良いものを各地より収集していく。米・水も例外なく、毎年最良ものを選定し、使用していく。だから契約農家は作らない。なぜなら一軒の農家に絞るとそこである年に良いものができなかったとしても、購入しなければならず、酒の品質にも影響が出る。よって市場から広く情報を集め、その中から良いものを購入する。

(変えるべきもの)
3.これまでは杜氏の経験と勘に頼っていた。しかし杜氏が代わっても味を変えないようにしていく必要性がある。そのために少しずつ製造工程を変えてきた。
・味を数値化するために最新の検査機器を導入し、データを整理し始めた。更に杜氏によって段取りが変わらないよう手順マニュアルを作成した。ただ最後の最後杜氏のカンも重要だと考えている。社長の思いとしては遺伝子組換え技術も使いようによっては日本酒の風味を何倍にも引き出し、品質の高い日本酒を造りだすことが可能となる。単に将来の人体への影響を危惧するだけでなく、できる範囲で使ってみることも大事だと力説された。その上で将来への影響はどんな食物でも可能性がある。今は誰も分からないのではないかと主張された。

佐々木酒造

(佐々木酒造 全文はこちら)




ちきりや

(残すべきもの)
1.お茶の持つ文化と空間を大事にしたい。
日本のDNAが残っている間に、お茶に触れ合う時間を持っていただき、お茶の文化、ふれあう空間を日常の中に増やしていきたい。そんな思いから和風喫茶を始めた。

2. 変えるべきもの:直接消費者との接点を持つ、お茶の世界からそれほど離れず背伸びせずに出来るところから変えていく。 家庭から急須がなくなるような今日が、当社にとって逆風の時代であり、経営環境は厳しくなっている。だから今本業が成り立っているうちに、時代の求めを探り、提案していくことが求められている。そのためには世相を作っている消費者の声をもっと聴かなければならない。小売業への進出の理由である。

(変えるべきもの)
3.同業者がしていないところを目指す。食文化を発信、器やランチョンマットのデザイナー、そして家庭での料理教室家 若林三弥子氏 (お茶を使ったレシピ) など異業種とのコラボに取り組む。
茶業界はどうもなじまないところが多い。しかし若手経営者の中にはお互い協力し合い業界を盛り上げようという動きがあるのが嬉しいと社長は言う。
そんな中、他のお茶屋がやっているスィーツの喫茶も魅力的であった。更に社長は他店とは少し違った取り組みもしていきたいという。それが異業種交流である。

ちきりや

(ちきりや 全文はこちら)




三木竹材店

キャッチボールで言えば、相手はまっすぐストレートを胸元に投げてくると信じて、こちらも同じように投げる。そんな信頼関係の中で商売をすることが創業以来ずっと続けてきた経営理念です。

三木竹材店

(三木竹材店 読者感想含む 全文はこちら)




八代目 儀兵衛

(残すべきもの)
1.家訓「兄弟仲良く孝行を尽くす」家族経営を基本に兄弟とはビジネスパートナーとして連携していくこと。心変えずに形を変えよ。

2. 美味しいお米の味を提供したい。という思い。

(変えるべきもの)
3.お米の販売方法を贈答品としてネット販売としたこと。 美味しいお米の食べ方を伝える方法として米料亭を開店させたこと 。
時代に合わせて変化し続けて世の中に対応していく会社になる。

八代目儀兵衛 八代目儀兵衛


(八代目 儀兵衛 全文はこちら)




柊家

玄関に掲げている額には「来者如帰」という言葉が書かれています。これは「我が家に帰って来られたように、くつろいでいただきたい」という意味です。この言葉に表されるように、家族のように温かく、控えめなサービスを創業以来大切に守り伝えてきました。
また時代の移り変わりを先に読み取ることができるように気を付け、常に時代に求められる形態に素早く対応してきました。
たとえば柊家別館(14部屋)を購入し、本館よりリーズナブルな価格にしたことです。それは、これから旅行需要が高まり、京都への旅行者の利用が増えると考えてのことでした。他には近年新築した新館には、ベットのお部屋もあります。海外からのお客さま、高齢者のお客さまの割合が増えることが見込まれたからです。

(柊家 全文はこちら)




鈴木松風堂

初代創業者から引き継がれているものは、なんとも皮肉なことですが、これまでのやり方を一変し、常に新事業の展開をし続けることです。もともと創業者は自らのアイデアで起業しましたので、そのDNAを引き継いでいくことを大切にしています。
もちろん紙へのこだわりは残すべきものです。だからこそ紙の特性を生かし、紙でなかったものを紙で作ってみたらどうなるか、ということを常に試行錯誤しています。紙を中心としたイノベーションを起こす、それこそが当社の姿勢だと考えております。




中村ローソク

日本の「本物」の伝統工芸品には、1つ1つに「本物」を使う意味があります。
たとえばお寺の和ろうそくを、洋ろうそくにした場合、数年間はすすが付きませんが20年以上たつと、大事な掛け軸や障壁画が油分を含んだすすがこびり付いてしまいます。これに対し、和ろうそくは1年に1度すす払いをしなければいけませんが、掛け軸や障壁画に一切損傷はありません。和ろうそくには、伝統を大事に守る仕掛けが施されているのです。本物を使う意味、それを残していかなければいけないと考えています。
また近年は、和ろうそくの原料であるハゼの実が少なくなってきました。そこでハゼの実に変わる天然素材を開発し、徐々に移行していくことを進めています。
また製造の仕方も型を使い、効率化を図っています。




上羽絵惣

当社は日本画用絵具専門店でありますが、近年、胡粉の効能を全く別の観点で見出し、新たにネイルや胡粉石鹸などを提供する化粧品ブランドとしても歩み始めました。
胡粉の原材料には、抗菌作用があり、また食べても害がないという安全性があります。化粧品にも使用されるほどの利用価値の高い素材を、あえてネイルの原料にしたのは、肌が弱いなどの理由で、通常のネイルが使えない方へのニーズを踏まえてのものでした。
現在は市場をグローバルに捉え、欧米への進出も視野に入れています。ターゲットはこれまでの絵の具とは全く異なり、セレブ層を想定し、欧州各国の文化に合わせて、色、効能、を変えていく予定です。




堀金箔粉

当社には守るべき3つの教えがあります。

1つ目は「適正規模の経営」。
これは得意先を集中させず、得意先のシェアを最大でも5%未満にするということです。

2つ目が「信用第一」。
金箔という0・1グラム単位のビジネスでありますので、ごまかしは一切しません。

3つ目が「伝統とは革新の連続」。
現状に甘えず、絶えず自社の製品を乗り越える気持ちを持っています。

また金箔のさまざまな可能性を追求し商品開発にあたっています。食用金箔、アートやフィルム熱圧着用、あぶらとり紙、デジタルアーカイブ、クリアファイルなど、さまざまな商品を開発しています。




会社情報

本社
TEL

075-778-5041(直通)
FAX
075-256-8660
住所

京都市中京区
河原町通御池下る2丁目
下丸屋町403番地
FISビル2F(地図)


QRコード
スマートフォン
携帯用QRコード